矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 105


☆ なぜ「真秋」はダメなのか・・・?

「秋もたけなわ、・・・」こんな出だしで日本語教師養成講座の卒業生にメールを
出したところ、何人かの生徒から「たけなわ」ってどんな意味ですかと、返信のメールが
入ってちょっと驚いてしまった。確かに最近の若い人はこの「たけなわ」などの言葉は
ほとんど使わないようであり、ましてこの漢字はどう書くかの質問に大部分の人は「そんな
漢字あるの・・・」である。中には本気で「竹縄」という人もいて・・・、これには驚くという
よりは笑ってしまった。

この「たけなわ」の漢字は「酣」である。でも確かにこんな漢字を知っている人はごく稀
であろう。もちろん私も日本語教師になるまで全く知らなかったし、一つの漢字だと分かっ
たときはやはりびっくりしてしまった。また意味も何となく「物事の一番のピーク、最盛期」
として使っていた。「宴たけなわ」といえば「宴会も真っ盛り」の意味と思っていた。

でも辞書にはもう一つ「少し盛りを過ぎた状態」という意味も出ている。そしてこの漢字
の成り立ちから考えるとどうもこちらのほうが本来の意味だったのではないかと勝手に思い
込んでしまった。なにしろ「酣」は「酒が甘い」と書く。お酒がものすごく強い人はピークを
過ぎるとだんだん甘くなっておいしくなくなる・・・。正に最盛期を少し過ぎたそんなニュアンスがぴったりな感じがするのである。

この「たけなわ」の語源は定かではないが、「宴半ば(うたげなかば)」の最初の「う」と
最後の「ば」を除いて「たげなか」となり、それが「たけなわ」になったという説もあり、なか
なか面白い。若い人にも昔から使われているこのような趣のある言葉もどんどん使って
もらいたいものである。

こんなことを考えていたら、日本語教師泣かせの質問を思い出した。「真夏や真冬は
使うのに、真春や真秋はどうしてダメなんですか」である。確かにそう言われると・・・、こん
なこと日本人は考えたこともないが、真春や真秋とは言わない。「うーん、でもなぜ・・・」
説明に困ってしまう。「春と秋に使うと不自然になるから使わないで・・・」、実に情けない
説明である。

 四季を考えるとき、夏と冬は両端に位置しており、その間に春と秋がある。すなわち夏
と冬は折り返す地点として考えているので、その頂点として「真夏」「真冬」はぴったりな
感じがする。でも春と秋は移っていく通過点として考えているので、「真春」「真秋」は
やはり言葉として適さないのであろう。「真朝」などとも言わないように・・・言葉が持つ
文化である。

 そのかわり春と秋にはちゃんと「春たけなわ」「秋たけなわ」がある。確かに「夏たけなわ」
や「冬たけなわ」も別に間違いではないだろうが、何となく座りが悪くあまり使わないような
気がする。

これは同じように英語にも真夏や真冬を表す「midsummer」や「midwinter」はあるが、
「spring」や「autumn」には無い。四季のある国では季節の言葉などを文化として同じ
ように考えるのであろう。言葉とは正に文化の結晶である。




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