☆ 「見る」と可能形は・・・?
日本語を母語とするいわゆる日本人に突然「『話す』の可能形は何ですか」と質問
すると、ちょっとびっくりしながらも「話せる」と答える。もちろん正解である。そして次に
「『見る』の可能形は・・・」と尋ねるとちょっと考えながら「見える」と答える人がかなり
多い。確かに「見える」に可能の雰囲気を感じる。でも正解ではない。正解は
「見られる」である。もちろん「ら」が抜けた「見れる」でもいいのだが・・・。でもこのように
かなりの日本人が間違えてしまうのだからこれは誠に重大な問題なのでは・・・。
しかしそんなこと大した問題ではなくどうでもいいことなのである。「見る」の可能形を
「見える」と間違えた人でも日常会話において間違えるはずないのである。例えば
「火曜日は映画が安く(見る)」という可能の文を作ろうとすれば自然に「火曜日は
映画が安く見られる」と言えるのである。誰一人「火曜日は映画が安く見える」とは
言わない。我々日本人にしてみれば「見る」の可能形は何ですか・・・などという質問は
全く意味がない。ちゃんと頭の中にインプットされていて使い分けが出来るのだから・・・。
しかし日本語学習者にしてみればこの「見える」と「見る」の可能形「見られる」
そしてそのら抜き言葉の「見れる」の違いはとても大変であり、またとても重要である。
例えば「オーロラが見える」と「オーロラが見られる」はどう違うのか・・・。どちらも可能を
表しているので確かにややこしい。しかし日本人は自然に何となく使い分けているが、
でも改めて聞かれると困ってしまう。
さて、これをどう教えるか・・・。ちょっとした知識が必要である。いわゆる「自動詞」と
「他動詞」の知識だが、こんなこと意識している日本人はほとんどいない。事実私自身も
日本語教師になる前は及びもつかないことであった。でも間違いなく「火が消える」と
「火を消す」の違いは容易に理解できる。「火が消える」が自動詞で自然な感じを表す
ときに、そして「火を消す」が他動詞で意思伴った何か目的を表すときに使いますよと
教えている。
「見える」と「見る」も全く同じ関係で自動詞「オーロラが見える」は自然に目に入って
くる感じであり、他動詞「オーロラを見る」の可能形「オーロラが見られる」は何か強い
目的を表しているのである。イエローナイフに行けばオーロラが(見えます・見られます)は
両方使えるが確かに微妙な違いがある。もしB&Bの宣伝であれば「うちのB&Bからは
きれいなオーロラが見えますよ」よりは「見られますよ」のほうが迫力があって効果があり
そうそうである。
この「自動詞・他動詞」は日本文化とも強く結びついている。一例として
「お茶が入る」と「お茶を入れる」だが、ご主人に「あなた、お茶が入ったわよ」と自動詞
表現を使う奥様が多いのでは・・・。これはあたかもお茶が自然に入った感じを表し
恩着せがましさを抑えた言い回しである。もし「お茶を入れたわよ」というと、どうしても
「ありがとう」が必要である。ご主人に「ありがとう」を言わせない配慮。やはり昔の方は
本当にすごいですよね。でも最近の若い女性は「あなた、お茶を入れて」になって
いるようで、言葉とともに文化も変わってしまうのかも・・・。
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