矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 73


☆ 「つかぬこと」とはどんなこと・・・?

日本語教師養成講座の最終日に間違えやすい「ことわざ」などをおさらいしている。
その代表例が「情は人のためならず」である。「情をかけたらその人のためにならないから情はダメ・・・」などと冗談ならとても面白い解釈を半分以上の生徒は本当だと思っている。生徒は外国の人ではなく、間違いなく日本の若者である。

先日もある生徒が「私辛党なんです」といいながら休み時間に激辛のポテトチップスを食べ始めた。なかなか面白いジョークである。でもいろいろ話しているうちにどうもそれはジョークではなく本当に辛いものが好きな人を辛党だと思っているようで・・・。そして「甘党」は甘い物が、「辛党」は辛いものが好きな人ですよね、である。びっくりしてしまった。これが日本語学習者の質問であればすごくうなづけるのだが・・・。彼女に「私は辛党です」なんて言ったらおじさん連中は「大酒飲み」かと思っちゃうよと注意したのだが・・・。このような例は数多くあり、今時の若者は困ったものだと文句のひとつも言いたいところだが、このような思い違いは別に若者に限ったことでもなさそうである。

例えば、二の舞を(a踏む b演じる)はどちらですかの質問にあまり年齢に関係なくほとんど大部分の方が「踏む」と答える。正解は舞だから「演じる」である。これは「二の足を踏む」という慣用句があるので勘違いしている方が多いのではといわれている。
何しろ大部分の日本人が「二の舞を踏む」と思っているので、最近はこの言い方もOKなどという辞書もあるようだが、普通の辞書には絶対載っていない。

また「姑息な手段」も思い違いの代表例である。この「姑息」に何となく卑怯な意味を感じる方が多いのでは・・・。何たって「姑さんの息」と書くのだから・・・。ご多分に洩れず私も疑いもなくそう感じていた。しかしこの「姑息」には卑怯という意味はなく、その場しのぎのという意味である。国語のテストで「姑息な手段」はどんな意味かの問いに「卑怯な手段」に丸をつけると間違いなく間違いである。確かにあまりいい意味には用いられていないが、実際病院の医療などではその場しのぎの治療という意味で「姑息治療」という表現が使われているとのこと。でももし病院でそんな会話が聞こえてきたら患者としてびっくりしてしまうのでは・・・。

表題の「つかぬこと」もなかなかややこしい。よく「つかぬことを伺いますが・・・」などと使われているが、これも「つまらないこと」などと思っている方が多いようである。これを漢字で書くと「付かぬ事」で、前の話と付かない、関係ない事の意味である。今までの話とは関係ない、ちょっと的外れな質問をしたいときに「付かぬ事を伺いますが・・・」が本来の用法である。でもこの表現、正に相手を立てて自分をへりくだらすいかにも日本的な言い回しのように思える。

さて、これを英語ではどういうのか・・・。「つかぬ事をお聞きしますが・・・」と日本語超上級者に尋ねてみたら、「そうですね、By the way」ぐらいかなと簡単に言われてしまった。日本語の奥の深さを改めて感じた次第である。


 
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