矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 72


☆ 「病気な人」はどうしてダメ・・・?

「今年の抱負を述べてください」の答えに大部分の日本語学習者は当然ながら
「日本語がもっと上手になりたい」である。具体的に「日本のアニメが分るように
なりたい」とか「日本に行って働いてみたい」とかいろいろ出たが、ある上級者が
ユーモアまじりに「健康大好き、病気大嫌い、元気に過ごしたいです」である。
ごもっともな意見であるが・・・、でもその答え方に何か他の目的が感じられた。
そして早速こんな質問を受けた。「元気な人」、「健康な人」はいいのに、どうして
「病気な人」はダメですか・・・である。こんな質問今まで受けたことも聞いたことも
ないのでびっくりしてしまった。

まず国文法では「形容詞」と「形容動詞」に分類しているが、日本語教育に
おいては形容詞を教える場合「い形容詞」と「な形容詞」に分類している。例えば
「ひろい部屋」や「あかるい部屋」など「い」で終わる形容詞が「い形容詞」であり、
「しずかな部屋」や「きれいな部屋」など「な」で終わる形容詞が「な形容詞」と教えて
いる。そして彼の質問はこの「な形容詞」に関するものである。「元気」は「元気な人」
そして「健康」は「健康な人」という「な形容詞」があるのになぜ「病気な人」はダメなん
ですか・・・うーん、こんなこと我々日本人は考えたこともない。使わないのだから・・・。
でも確かにちょっと日本語教師として気になる質問である。

国文法においてもこの「な形容詞」いわゆる形容動詞は名詞と絡んでいろいろ
ややこしい。例えば「あの人は健康です」の「健康」は形容動詞だが「一番大切な
ものは健康です」の「健康」は名詞である。でもそんな文法的なことはどうでもいい
のだが、「な形容詞」になれるものとなれないものの区別は何か・・・。「健康」は
「健康な」という「な形容詞」があるのに、「病気」には「病気な」という「な形容詞」が
どうしてないのか確かに気になる。

でもさすがである。我々日本人は母語としてちゃんと「健康」と「病気」の違いを
感じているのである。「健康」はどこから健康なのかそんな決まりはなく人によって
まちまちなので「健康の人」より「健康な人」のほうが落ち着くのであろう。「元気」も
同じである。しかし「病気」はちょっと熱でも出ればもう病気であり、病気という枠が
何となく決まっているので「病気の人」で充分なのであろう。

こんな使い分けを自然としており、日本語って本当に奥の深い言葉である。でも
微妙なものもある。例えば「重体」は「重体な人」も使えそうだが、「危篤」は
「危篤な人」とは言わず、「危篤の人」である。同じ「きとく」でも「奇特」は「奇特な人」
しか使えないのだが・・・。また最近は「問題」も問題になっている。本の題名に
意識的であろうが「問題な日本語」というのがあり、物議を醸し出している。

でも我々日本人にとってこんなことはどうでもいいことである。間違いなくその
使い分けは身についており、「自由の女神」と「自由な女神」の意味の違いも
何となく感じられるのだから・・・。でも学習者はいろいろ大変である。
早く「完璧(の)日本語」が話せるよう頑張ってもらいたいものである。


 
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