矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語55


☆ 「もしもし」が危ない・・・?

 トロントに実家がある上級レベルの生徒さん、親戚に不幸がありしばらく実家に帰らな ければならなくなった。いつこちらに戻れるかはっきり分らず、とりあえず彼は「バンクーバーに 戻るとき先生に電話します」と言い残して実家に急いだ。そしてしばらくして彼から電話が かかってきた。当然トロントからの長距離電話だと思い、手短に「いつバンクーバーに戻って きますか」と聞いたら「いまから学校に行ってもいいですか」である。びっくりしてしまった。 何しろ「バンクーバーに戻るとき電話します」といったのだから・・・。この「戻るとき」と「戻った とき」の違いは電話をかける場所が異なる。でも確かにこれは上級者でもなかなか 難しい。例えば「バンフに行くときセーターを買います」と「バンフに行ったときセーターを 買います」の違いは日本人はセーターを買う場所が違うことだとすぐ分るのに・・・ 「行く」と「行った」の違いでなぜそんなことが分るのか・・・生徒さんの疑問もよく分る。

  ビジネス敬語講座の中でもこんなことを話題にしている。友達と待ち合わせなどする 場合、昔は「家を出るとき電話する」が当たり前であり、「家を出たとき電話する」はとても 不自然な日本語である。家の前に公衆電話などがあれば別だが・・・、一般的には 不可能である。しかし携帯電話の出現により・・・、「家を出たとき電話する」を可能に してしまったのである。「うーん」日本語もどんどん変わりつつある。日本語教師としては 大いに戸惑うところだが・・・、実際「家を出たとき電話する」のほうが時間的にはっきり するのでいいのかもしれない。

この携帯電話はもちろん日本語だけではないだろうが言葉を変えちゃうほど影響力が ある。時代の流れと言えばそれまでだがちょっと寂しい感じもする。従来は電話の応対は 自分の名前を名乗ることから始まるものと相場が決まっていた。しかし携帯電話の第一声 は「いまどこ・・・」である。基本的にお互い相手が誰だか分ってしまうのだから当然なので あろう。普通、電話をかけた方が「いまどこ」の表現は考えられなかったし、更に「もしもし どちら様ですか」などの表現も携帯電話には必要ないのである。

この「もしもし」は「申し申し」が変化したもので、電話といえばやはり「もしもし」がなけ れば落ち着かない。でも聞き取りにくいときなどには今でも使うが、しかし高性能の携帯 テレビ電話などが一般化すればこの「もしもし」は全く必要なくなってしまうのでは・・・、 「もしもし」が危ない。

またビジネスの電話応対などで「田中課長いらっしゃいますか」に対して「田中は外出中 です」と「田中」と言わなければ、しかし奥さんなどから「田中おりますか」という電話が かかってきたら、この場合は「田中課長は・・・」と言わなければダメですよと説明している。

しかしある生徒さんから「先生、もうそんな電話は会社にはかかってこないので必要ないと 思います」と言われてしまった。確かに奥さんは旦那の携帯に電話すればいいのだから・・・。この「内と外」の切り替えは電話応対において従来はとても大事なことだったのに・・・、 教えることが減ってしまった。日本語教師とすれば携帯電話を大いに怨みたい。


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