矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語48


☆ 「大きい車」と「大きな車」

 日本語教師の心得として形容詞を教える場合「い形容詞」(形容詞)と「な形容詞」
(形容動詞)の知識がどうしても必要である。そしていろいろな注意点があるが、
後ろに「です」を付けたとき、い形容詞の「重い」は「重い+です」で「重いです」となる。
でもな形容詞の「しずかな」は「しずかな+です」で「しずかなです」ではなく、「な」が
なくなって「しずかです」となり、「な」を取ることを強く教えなければならない。

 さて、日本語教師になるための講座を受けていたとき、「い形容詞」と「な形容詞」と
両方に使えるものがいくつかあると学んだ。例えば「柔らかい肉」と「柔らかな肉」である。
確かに「この肉は柔らかいです」も「この肉は柔らかです」も両方使える。そして日本語
教師に成りたてのころこんな質問を受けた。表題の「大きい車」と「大きな車」の違いで
ある。とっさに「柔らかい肉」と「柔らかな肉」を思い出して、それは文法的には「い形容詞」
と「な形容詞」の違いですよと自信満々に説明したのだが、そのあととても困ってしまった。
「い形容詞」の場合「この車は大きいです」で問題ないのだが、「な形容詞」の場合は
「な」を取るのであるから「この車は大きです」でなければならない。でも「大きです」とは
言わない。どうしよう・・・、新米教師としてはうまく振舞うことも出来ず、教師の面目
丸つぶれであった。

 確かにこの「大きな」は国文法では連体詞といわれており、形容詞の「大きい」とは
文法的には異なるのだがそんなこと意識している日本人はほとんどいないし、日常会話
において困ることなども全くない。「大きい車」と「大きな車」に意味の上で違いなどほと
んどないし、そんなことどうでもいいのでは・・・、が本音である。

  しかしやはり日本人である。無意識のうちに見事にちゃんと使い分けている。確かに
「大きい車」と「大きな車」だけなら使い分けは難しいように思えるが・・・、日本語教師
養成講座の終了後、受講者に「カナダでの小さな出会いを大切にしてください」と
メールを出しているのだが、その時はたと気がついた。決して「小さい出会い」とは書か
ないのである。なぜといわれても困るのだが・・・でも車や家など目に見えるものには
「大きい」も「大きな」もどちらでも使うが、確かに目に見えない心で感じる抽象的な
「出会い」や「喜び」、「悲しみ」などにはなぜか「大きい」や「小さい」は使わず、
「大きな」や「小さな」を使ってしまう。でもなぜなのだろう・・・。

 やはり目に見えない心で感じるものには、自分の気持ちを込めたくなるのであろうか。
「愛情」なども「大きな愛情を感じる」のほうがふさわしい。すると「大きい車」と「大きな車」
も使い分けているのでは・・・、例えば「どんな車に乗りたいですか」の答えにすごく気持ち
を込めようとする場合には「大きな車に乗りたい」と言うのでは・・。うーん、確かに・・・。

 分かりやすい例として「月」と「お月さま」の違いである。「月」の場合は「大きい月」でも
「大きな月」でもどちらもいいが、「お月さま」の場合は日本人であれば間違いなく
「大きなお月さま」と「大きな」を使うのである。やはり「お月さま」といえば日本人は子供の
ときから「あそこでうさぎがお餅をついている」と聞かされて、心で感じてきたのだから・・・。
こんなこと習った覚えはないが母語としての文化をつくづく感じる次第である。

 でもこんなこと外国の生徒にわかるはずはなく、この違いはとても微妙で難しく、
とりあえず、「大きい車」と「大きな車」には「大きな違い」はないからどっちでもいいですよ、
と教えたほうがよさそうである。


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