矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 42

☆ 「主語」の価値観

友達の家に電話をかける。しかしなかなか応答がない。そしてそのうちこんなメッセージが聞こえてくる「ただいま留守にしております・・・」である。でもこのメッセージにもし「私」という言葉が入って「私はただいま留守にしております」と聞こえてきたら日本語としては何となく不自然であり、「分かっているよ、あなたにかけているんだから・・・」と小言のひとつも言いたくなってしまう。

しかしこれが英語になると、もちろんいろいろな表現があるだろうが良く聞くメッセージは「I am not available・・・」である。でももしこの表現に「I=私」がなければ文としては成り立たない。英語には「I=私」がどうしても必要であり、ここが日本語と英語の大きな違いである。
すなわち主語の役割、価値観に大きな違いがあり、日本語教師としては非常に神経を使わなければならない点である。

  英語は構文的には「主語+動詞」であり、「主語」は正にクリスマスツリーのてっぺんにさん然と輝くお星さまである。「主語」がなければ文が始まらないわけであり、英語を母語とする日本語学習者が文を作るとき主語が気になるのも大いにうなずける。
  一方、日本語は例えば「私は友達とおすしを食べました」の文において必ずしも「私」からスタートする必要はなく、「おすし」から始めても問題はない。しかし「動詞」はどうしても最後にお出ましと相場が決まっている。日本語は「動詞構文」と言われ、主語などよりも文の最後にくる動詞に注目しなければならずクリスマスツリー型ではなく盆栽型と呼ぶ人もいる。そして状況にもよるが「私」はあえて使う必要はなく、「友達とおすしを食べました」で十分である。「主語」に関してクリスマスツリーのお星さまのイメージを早く忘れるよう生徒さんに指導しなければならない。

  事実、敬語を学び始めた上級者は日本語の素晴らしさに気づいてくれる。例えば「おっしゃることはよくわかります」を英語では「I think, you are right」とでもなろうか・・・、しかしどんな言い方にしても英語にはどうしても「I」や「you」が必要である。これを無理やり日本語に直訳すれば「私」と「あなた」が出現し、何となく不自然な日本語になってしまう。「私」や「あなた」を必要としない表現に驚き、そして日本語ってすごいなアーと上級になればなるほど思ってくれるのである。

  敬語を教えるときにこんな入り方をしている。例えば「そう言いました」という表現では確かに誰が言ったのか分からず、日本語でも主語が必要である。しかし敬語表現を用いて「そうおっしゃいました」や「そう申しました」と言えばこの違いは日本人はすぐ分かってしまい、主語など全く必要ないのである。丁寧な表現の敬語はどこの言語にもあると思うが、動作主をみごとに表せる敬語表現は日本語の大きな特徴と言われている。

  英語では会話の随所に「You」や相手の名前がよく出てくるが、これは構文上はもちろん文化的にも当然な感じがする。しかし日本語はむしろ言わないほうが自然である。言葉と文化の強い結びつきに驚くばかりである。


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