矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 35

☆ 「敬語のこころ」とは?

 日本語の敬語を学び始めた学習者は大きく二つのグループに分けられる。すなわち「やっぱり日本語ってむずかしいや」と何となく嫌いになってしまうグループと、逆に「日本の文化ってとても面白い」とますます日本語に興味が出てくるグループとである。
もちろん人数的には前者のほうがはるかに多いのだが・・・。確かに「日本語で何が一番難しいですか」の質問に「敬語」と答える生徒が多い。しかし日本の文化に一段と興味を持ってくれる生徒さんの出現は日本語教師にとってはとてもうれしい。言葉を教えることは文化を教えることといっても過言ではないだけに、正に教師冥利に尽きる思いがする。

 しかしそんな生徒さんにも上級になればなるほどいろいろな落とし穴が待っている。例えば「食べる」の尊敬語を「召し上がる」と学んだ生徒がポットラックパーティーなどで「先生、これ私が作りました。召し上がりたいですか」である。本人は完璧な敬語を使っており、先生にほめてもらえるものと期待しているのだが・・・、でもこんなふうに聞かれて素直に「はい」とはなかなか答えにくい。これは日本語は目上の人に希望などを直接聞くのは失礼とされており、「先生、これいかがですか・・・」ぐらいが落ち着くところである。

 この「・・・」がいわゆる敬語の心と言われており、何となくぼかした、
日本特有の遠回しの文化も上級者としては理解してもらわなければならない。
その難しい典型的な言葉が「あげる」である。普通に「お菓子をあげる」などは別に問題はないのだが、例えば歓迎会などで「これから私達の国歌を歌ってあげます」と言われると何となくお断りしたくなる。まして「あげる」の謙譲語である「さしあげる」を使って「先生、この荷物夕方までに届けてさしあげます」などと言われたら必ず断りたくなってしまう。

 日本人は特にこの「〜てさしあげる」に間違いなく恩着せがましさを感じる。でもなぜなのだろうか。生徒から「さしあげる」という敬語を使って丁寧に言っているのにどうしてダメなんですかと質問されると困ってしまう。

 これら「あげる・もらう・くれる」のいわゆる授受動詞は感謝の気持ちを表すときに用いるものと決まっている。こんなこと我々日本人は意識もしないがごく当たり前のこととしてとらえており、「田中さんがお金を貸してくれました」や「田中さんにお金を貸してもらいました」は田中さんに感謝の気持ちを表しているのである。ということは「あげる」を使うと相手に暗に「喜んでよ」と言っていることであり、品物などが実際動く場合であれば問題ないのだが、何か行為を施す場合、例えば「席を譲ってあげます」や「荷物を持ってあげます」などは日本人としてやはり恩恵の押しつけを感じてしまうのも当然である。

 上級者は「さしあげる」という敬語を使えば全て大丈夫と思ってしまうのだが「席を譲ってさしあげます」は逆に皮肉さえ感じてしまう人も多い。ここが上級者には文化が絡んだとても大きな落とし穴である。

 このように「丁寧に話す」ということは尊敬語や謙譲語を正しく使えるだけではなく、様々な文化的な決まりごとも理解してもらわなればならない。 授業が終わったあと「先生、授業ご苦労様でした」 うーん、目上の人に「ご苦労様」というねぎらいは・・・。


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