矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 34

☆ 「教わる」と「襲う」 は同じ?  

日本語教育において動詞の可能形は使用頻度も高く重要項の一つであるが、ややこしい動詞もあり、いろいろ大変である。ある授業のとき、漢字にとても興味のある生徒からこんな質問をされた。
「入る」の可能形の「はいれる」は「いれる」という動詞と同じ漢字ですかである。慌てて書いてみたのだが確かに同じである。どちらも「入れる」である。「ホントだ!」と思わず驚いてしまったが、更に「どうやって見分けるんですか」の恐い質問がやってきた。それは文の内容から分かるでしょう、と説明したのだが・・・。

しかし「自動販売機にお金を入れる」は間違いなく「いれる」であろうが、「この部屋に10人入れる」は「いれる」か「はいれる」か確かに微妙であり、前後の状況から判断しなければ分からない・・・、「うーん、なるべくひらがなで書きましょう」といってしまった。
「行く」もまたややこしい動詞である。この動詞の可能形は「行ける」であるが、地方によっては「行かれる」を可能動詞として用いているところもかなりあるといわれている。実際この「行かれる」に可能の意味を感じる人もかなり多い。そしてこの「行かれる」は「行く」の敬語表現としてもよく使われており、サラリーマン時代にこれに関してこんな話しを聞いたことがある。

ある会社の大株主のお年よりが会社を訪ねてきたのだが、あいにく上司は会議中。しばらく新入社員がお相手をしたのだが、そのときその大株主があしたスキーに行くということが話題になり、新入社員は「お一人で行かれますか」と訪ねた。するとそのご老人は「何だその言い方は・・・」と気分を害してしまった。でもその新入社員はなぜ怒られたのかまるで分からない。ちゃんと敬語を使っているのに・・・。しかしそのご老人はこの「行かれますか」を可能形と感じてしまったのであり、確かにお年寄りに「お一人で行けますか」は失礼であろう。その後この会社では「行く」の敬語は「いらっしゃる」を用いるようになったとのこと。

更に「行く」と「行う」も日本語教師としてはややこしい動詞である。この時点では「いく」と「おこなう」で全く問題はないのだがこれが「行っています」になると事はちょっとややこしくなる。「いっている」とも「おこなっている」とも両方に読めるのでなかなか判断がつきにくい。「ガレージセール( )行っています」はいわゆる「を」や「に」などの助詞で判断しなければならず、「おこなう」の送り仮名は「行なう」と指導している。

こんな事普段はほとんど気にもならないが日本語を教えるとなると気になってくる。こんなこともあってとても困ってしまった。お世辞のひとつも言える女性の上級者がお別れ会の席上でこんな挨拶をしてくれた。「矢野先生に教われて・・・」あとはチョッと涙声で「うれしかったです」。オーバーなお世辞と感じながらも何となくうれしい気持ちになっていたのだが、しかしこれを聴いていた人は・・・。

これを漢字で書けば問題はないのだが、スピーチとなると大変なことになってしまう。「教わる」の可能形は間違いなく「教われる」である。でも「襲う」という動詞の受身形も「襲われる」であり、ひらがなで書くとどちらも「おそわれる」である。「先生におそわれて・・・あとは涙」聴いている人の誤解が恐ろしい・・・。


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