矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 19

☆ 「きのうは暑いでした」は?

日本語は形容詞に過去形がありますよというと学習者特に英語を母語とする生徒はびっくりする。確かに我々日本人にとっても英語の形容詞 hot や long に過去形など考えられないのであるから、 英語圏の生徒が形容詞に過去形など想像すら出来ないのは当然であろう。冒頭の「きのうは暑いでした」こんな文を作ってしまうのも大いにうなずける。

しかし日本語の形容詞にはれっきとした過去形がある。
「暑い」は「暑かった」「長い」は「長かった」であり、冒頭の文は「きのうは暑かったです」と過去形を使って言わなくてはならない。
それ故、「このセーターは安いでした」こんな文を作ってしまう生徒には口を酸っぱくして「このセーターは安かったです」と教えなければならないのである。

そしてやっと形容詞の過去形に何となく慣れてきたとき、またまたやっかいな問題が起きてしまう。今度はこんな文をしかも自信満々に作るのである。「きのう安かったセーターを買いました」である。
確かに時制に厳しい英語を母語とする生徒にしてみれば、この文は時制の一致という点からパーフェクトと感じるのであろう。その気持ち 分らないでもないのだが・・・。しかしやはりこの文は日本人にとっては不自然である。ただし、「きのう」が Boxing Day みたいな特別な日で「昨日だけ」であれば、この文は使えないこともない。しかしやはり基本的に例えば「きのうおいしかったラーメンを食べました」などはとても不自然である。これを理解してもらうには形容詞に過去形があるよと強く説明しているだけに、とても一筋縄ではいかなくなってしまう。

形容詞に関してもう一つやっかいな問題がある。こんな質問をよくされる。どうして「花子さんはさびしいです」はダメなんですかである。確かに英語では She is sad.を堂々と使っている。でも日本語は・・・。 この二つの文を比べていただきたい。
@「太郎さんがいないので、おとなしい」と
A「太郎さんがいないので、さびしい」の
違いである。@の文は意味がはっきりしない。すなわち誰がおとなしいのか分からないが、Aの文はさびしいのは誰だか我々は すぐ分かる。でもどうして分かるのであろうか。

いわゆる「さびしい」などの感情形容詞は一人称しか使えないという厳しい制限を我々日本人は無意識のうちに理解しており、さびしいのは本人だととっさに判断出来る。
しかし「花子さん」の場合は「さびしいです」と断定してはルール違反であり、「さびしそうです」などの推量の表現を使わなくてはならない。

では「花子さんは楽しいです」もダメ?
場合によっては使えそうな気も・・・。


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