☆ 「りんご5つほど」は何個?
教科書の会話にこんな文があった。「りんご5つほどください」である。そしてある生徒から早速質問を受けた。「肉 300グラムほどください」は分かりますが、「りんご5つほど」はおかしいですよね。確かにこの「〜ほど」は数量などを表す言葉の後についてだいたいの意味を表し、英語の《about》に近い。だからこの場合「ほど」をつける必要はないのではと改めて言われると・・・。
確かに「りんご5つください」のほうが数がはっきりしていて理に
かなっている。でも「りんご5つほどください」といっても店の人に「何個ですか」と聞かれることはまずない。
英語でGive me about five と言えば、店の人に Four or six ? と聞かれそうだが・・・。
我々日本人はこの他にも「5つぐらい」や「5つばかり」などこれに似た表現を確かによく使っている。ではこれらの言い方には一体どんな効果があるのであろうか。
よく日本人は直接表現や断定表現を好まない文化を持っていると言われている。そしてこれが日本語の曖昧さを醸し出しおり、はっきり言わず、ぼかすことによってやわらかな表現になり、丁寧さを更には相手への思いやりすら感じさせることが出来るのである。
これは何事もはっきりさせたい文化を持つ日本語学習者にはなかなか理解しにくいことであろう。
このぼかし表現の代表格に「ほう」がある。この「ほう」は本来は「りんごとみかんどちらが好きですか」の問いに「りんごのほうが好きです」や「こちらのほうをください」などのように2つを比較する場合に用いるのであるが、デパートなどでよく店員さんが「お勘定のほう2500円でございます」とか「おつりのほう360円になります」 などとやたら使われている。なんとなく気になる方も多いと思うし、文法的にも問題ありとされているが、これも「お客様は神様です」の意識がなせるお客への特別な配慮からなのであろう。
また会社の面接試験などで例えば給料はいくらなのかを尋ねたいとき「お給料のほうは・・・」と必ず「ほう」をつけたくなるのも「給料は」と直接的に言うと何となく丁寧さに欠ける感じがしてしまうからであろう。
確かに日本語はこの曖昧さが大きな特徴であり、はっきりさせなくても互いに分かりあえるいわゆる「察しの文化」を作り出している。
これに関してここカナダでこんな失敗もあった。ある家のパーティーに招かれ、「飲み物は何を?」の返事にとりあえず遠慮がちに「水でも」と言うと本当に水しか出て来なかったのである。ビールが飲みたいことを察してほしかったのだが。
日本語学習者から「ほど、ばかり、ぐらい、一応、なんとなく、これを使えば怖くない」こんな川柳が聞こえてきそうである。
|