☆ 「とんでもございません」はダメ?
丁寧に断る場合「とんでもございません」がよく使われる。
例えば上司に「私が君の家に迎えに行こうか」と言われて、そんなこととんでもないとお断りする場合、「とんでもございません」を多くの人が用いている。確かに「とんでもないです」よりはるかに丁寧に聞こえる。しかしこの「とんでもございません」は文法的には大間違いなのである。でもどうして・・・。
先ず日本人は「無いです」という表現に何となくぶっきらぼうな雰囲気を感じる。例えば喫茶店で「カフェオレありますか」と尋ねたとき、「無いです」と言われると何となく腹がたつ。客に対して何だその言い方はと文句の一つも言いたくなる。そこで「ないです」よりは少し丁寧な「ありません」、もっと丁寧に「ございません」を用いるのである。そしてこの発想から「とんでもない」の「ない」を「ございません」に変えて「とんでもございません」という丁寧と思われる言葉が作り出された。
しかし「とんでもない」は一つのちゃんとした形容詞であり、「ない」の部分だけ勝手に変えては文法違反である。これは例えば「きたない」を「きたございません」や「やりきれない」を「やりきれございません」と言うのと同じであり、「とんでもございません」は確かに文法的には大間違いなのである。
「とんでもないことでございます」が正しい言い方だとされているのだが・・・。
しかし言葉は時代とともにどんどん変化して行くものであり、大部分の人がこの表現を使って丁寧と感じているのであれば、これはもはや間違いとは言えず、慣用表現として認められてしまっている。
最近同じような言葉の誤りとしてよく話題になるのが「全然」の使い方である。確かに若い年代の人は「全然いいです」とか「全然おいしい」などと平気で使っている。文法的には「全然」の後ろには打ち消しの言葉が続かなくてはならず、この表現には
まだ抵抗を感じる方も多いと思う。しかし「全然オーケーです」などは気にならない人も増えており、近い将来は誰でも何の違和感も無しに使うようになってしまうのであろう。
もう一つの例として「どくだんじょう」がある。「今日は彼の独壇場だった」などと使うが、これも誤りで本来は「どくせんじょう」独擅場であった。擅と壇の漢字が似ており、いつの間にか誤字である独壇場のほうが一般的になってしまったのである。
このように言葉は人々のコミュニケーションの道具としてその時代の欲求などに合うように変身することも必要であり、文法的誤用にあまり目くじらなど立てることは無いのかも知れない。
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