矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 2

☆ 「こんにちは」の威力

昔々こんな映画があった。ある夫婦の物語りなのだか、この夫婦には小学生の男の子が一人いる。しかし夫婦仲があまり良くなく、別居の危機に瀕している。映画を見ている人にはいつか別居するかもしれないぞ、となんとなく匂わせているのである。しばらく時が過ぎて、突然こんな場面が映し出される。銀座で偶然その子供が父親を見つけ「あ、お父さん、(一呼吸置いて)こんにちは」と言うのである。ここで見ている人は「おや?」と感じ、そうかやっぱり別居したんだな、と推測出来る。更にこの子供がいま誰と住んでいるのかさえも我々日本人は感じとってしまうのである。

「こんにちは」はこんなすごい威力を持っている。しかし日本語上級者でもこれを理解出来る生徒は非常に少ない。
「どうしてそんなことが分かるんだろう」という生徒さんの驚きの声が聞こえてきそうである。でも確かにどうして我々日本人は分かるのであろうか?

新米教師のころ、こんな質問を受けた。
「お父さん こんにちは」はどうしてダメなんですか。 一瞬言葉に詰まった。 こんな質問を受けようとは夢にも思わなかった。 確かに不自然である。家族や会社の人に「おはよう」は使うが、「こんにちは」は使ったことがない。
でも 「なぜ使わないんですか」「なぜダメなんですか」と改めて聞かれると、 答えられない。 これは小さいときから無意識のうちに身についてしまったものだからであろう。
幼稚園の先生から「お父さんやお母さんに 『こんにちは』を使ってはいけませんよ」 と教わった記憶などまったく無い、でもそれを聞くと他人行儀な感じがする。
なぜなのだろう・・。

「おはよう」 と 「こんにちは」 には大きな違いがある。
「おはよう」は いわゆる《内の人》にも《外の人》にも両方に使えるあいさつ言葉であるが、「こんにちは」は外の人に対してだけ使い、内の人には使わないという一種の決まりがある。こんなことをいちいち意識している日本人は少ないと思う。 でもこれが言葉が持つ文化なのである。

あのシーンで子供に「お父さん、こんにちは」と言わせ、何となく違和感を感じとらせる。日本語の持つ独特の文化を用いた、すばらしい演出手法なのであろう。日本人としてこの「こんにちは」の威力に改めて感心せざるを得ないのである。

サラリーマン時代、 自分の会社に昼から出社したとき、確かに挨拶に困ったことを思い出した。 決して「こんにちは」と言わなかったし、また言えなかった。
でもその時 「なぜだろう」 とは思わなかったのである。日本語が持つ「ことばの文化」を改めて見直してみたいと強く感じた。


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