☆ 「見える」と「見られる」
「見る」の可能形を「見える」と答える人がかなり多い。確かにこの
「見える」という動詞に我々日本人は可能形を感じる。しかし文法的
には「見る」の可能形は「食べる」が「食べられる」であるように
「見られる」である。「ら抜き言葉」の「食べれる」や「見れる」なども
かなり使われているが、「見る」の正式な可能形は「見られる」で、
「見える」ではない。
そんな文法的なことはどうでもいいのだが、さすが日本人である。
使い方は間違えない。例えば「あそこの映画館に行けば、日本の
映画が見られる」であり、「見える」を使う人はいない。ちゃんと
「見られる」という可能形を使うのである。(この年末年始、
バンクーバーで小津監督の映画が見られます)
このように「見える」と「見られる」の違いは何となく分かっているの
だが、説明するとなるとなかなか難しい。学習者にはさらに難しく、
これらに関する質問も多くなるので、日本語教師としても大変で
ある。
これは自動詞と他動詞の違いを意識しなければならない。前にも
書いたが、自動詞「火が消える」と他動詞「火を消す」の違いである。
先ずマッチに火をつけて灰皿に入れ、自然に消えるのを待って
「火が消える」を、そして次に火のついたマッチを手に持ちながら、
「熱い」といって息で火を消し、何か目的がある場合に「火を消す」を
教えるのである。
自動詞「見える」と他動詞「見る」もこれと同じで、自然に
「富士山が見える」であり、何か目的があって「富士山を見る」で
ある。そしてその可能形が「富士山が見られる」となる。
確かに「見える」も可能を感じるのでややこしいが、「見える」は
自然に目に入ってくる場合に使い、「見られる」は何か目的や
行動がある場合に使いますよ、と教えている。
実際「新幹線の窓から富士山が見える」と大部分の日本人は
「見える」を使う。確かに東海道新幹線からは自然に富士山を
見ることが出来るからであろう。しかし世界遺産の富士山をどうしても
見たいと目的を持って窓から見ていた場合は「新幹線の窓から
富士山が見られた」のほうがふさわしい。確かに話し手の気持ちに
よってどちらも使える場合もある。
そして上級者からこんな意見が出た。「オーロラなどの自然現象や
自然の山や川などはどちらも使えるんですね」である。確かにそうで
ある。「イエローナイフに行けばオーロラが(見える・見られる)」は、
もちろん意味は微妙に異なるが、どちらも使える。でも「動物園に
行けばパンダが見られる」である。
さらに視力検査などの場合は「この字見えますか」
「はい、見えます」となり、自然に見ることが出来ることをいいたい
のであろう。
間もなくお正月、日本では女性の着物姿がよく見られるが、
ここバンクーバーではめったに見られない。この文において「見える」は
確かに使えない。でも「あそこに着物姿の女性が見える」は
OKである。日本語は奥が深く、確かに見えにくいところも・・・。
良いお年をお迎えください。
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