矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 111


☆ 「ここ、そこ、あそこ」の不思議

日本語教育において「これはなんですか」などの「これ、それ、あれ、どれ」は初級の
かなり早い時期に教えている。いわゆる「こそあど」の導入である。「こ」は話し手に近い
もの、「そ」は聞き手に近いもの、「あ」は二人から遠いものと先ずは距離を十分意識して
教えなければならない。

最初に「これ、それ、あれ」や「この本、その本、あの本」である。そして次に場所を表す
「ここ、そこ、あそこ」を教える。ここで中級レベルの生徒からこんな質問を受けた。
なぜ「あこ」ではなく「あそこ」ですか、である。最初は質問の意味がよく分からなかった
のだが・・・

確かに「これ、それ、あれ」であり、「この、その、あの」である。だから場所も「ここ、そこ、
あこ」ならとても簡単で分かりやすい。でもどうして「あこ」ではなく「あそこ」になるのか・・・、
生徒とすればややこしい。そんなこと我々日本人は考えたこともないが、でも確かに
そういわれてみれば・・・なるほどと唸ってしまった。

実際「あこ」を方言として使っているところもあるようだが、日本語教育ではやはり
「あそこ」と教えなければならない。生徒にはそんなことイチイチ気にせず覚えなさいと
叱ったのだが・・・。するとさすが中級レベルの生徒である。先生、なぜ「あそちら」と言わ
ないんですか、とても不思議ですね、である。なおさら分かりにくい質問であるが・・・。

「ここ、そこ、あそこ」の丁寧な表現を勉強した本人は丁寧に言う場合、終わりの「こ」
が「ちら」になると一生懸命覚えたのである。「ここ」は「こちら」、「そこ」は「そちら」、そして
「あそこ」は「あそちら」であると信じて疑わずである。だからなぜ「あそちら」ではなく「あちら」
になるのか納得できないのである。

そんなことどうでもいいことだが、うーん、確かにそう言われてみれば「あそちら」のほうが
道理である。今度はあまり叱れず、小声で「あそちら」は長くて言いにくいから「あちら」と
覚えなさい、である。でももし「あ」を示す場所の言い方が「ここ」や「そこ」と同じように
「あそこ」ではなく「あこ」であれば、丁寧な言い方は「あちら」なのだからつじつまが合う。
日本語教師としてはとても楽なのだが、なぜ「あこ」ではなく「あそこ」というのか、確かに
不思議である。

そしてこの「こそあ」に関しては距離以外にもう一つ大事なことがある。例えばこんな
間違い表現をする。「先生、リルエットという町があります。あそこはとてもいいところですよ」
である。生徒の大部分は遠いから「あそこ」になってしまう。でも先生がリルエットという町を
知っているか、知らないかの違いを教えなければならない。知らなければ「そ」を使って
「そこはいいところです」であり、知っていれば「あ」を使って「あそこはいいところですね」で
ある。

すなわち「あそこ」は両方が知っていなければダメである。
「日本語はどこが難しいですか」という質問に「やはりあそこが一番難しいですよ」。
こんな会話ができるようになったらもうしめたものである。



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