☆ 「任せて」か「任して」か・・・?
日本語教育において動詞の活用を教えるときに「て形」という用語がある。これは
例えば「書く」が「書いて」、「話す」が「話して」である。この「て形」は日本語教育に
おいてとても厄介なもので、「行く」は「行って」になってしまうし、「飲む」は何と「飲んで」
である。いろいろ音便が発生してしまい、また同じ「きる」という動詞でも「切る」は
「切って」だが、「着る」は「着て」となる。こんなこと日本人にとってはごく当たり前のこと
だが学習者にしてみればとても大変であり、この「て形」は日本語教師泣かせの代物
である。
さて表題の「任せて」と「任して」とどちらが正しいですか・・・。こんな質問をよく受ける。
確かに両方耳にするので学習者にしてみれば気になるが、どちらも正解である。これは
「任せる」と「任す」という二つの動詞があるからであり、「て形」の違いである。「任せる」
は「任せて」であり、「任す」は「任して」なので文法的には両方OKである。
でも確かに「任す」という動詞は何となく古いイメージがするので若者世代は「任せる」
のほうが主流となり、日本語教育も「任せる」を教えている。でもまだ「任す」も使われて
いる。例えば「運を天に任す」や「俺に任しとけ」など・・・。日本語教師としてこのように
二つの動詞があるものは要注意である。
「ここで問題です」と、ときどき日本の方にこんな質問をしている。「勉強する」や
「結婚する」の否定形は・・・、すると当然「勉強しない」、「結婚しない」と答える。では
「愛する」の否定形は・・・、ちょっと考えて「愛さない」と答える方が大半である。えー、
おかしいじゃないですか・・・「する」の否定形は「しない」、すると「愛しない」でしよう。
うーん、確かにそうだが・・・。でも「愛しない」はほとんどの方が馴染めない。こんなこと
我々日本人はまるで気にもしていないが、確かに学習者はとても気になる。
これも「愛する」と「愛す」という二つの動詞が存在するからであり、「愛す」の否定形が
「愛さない」である。まだ日本人の心に「愛す」という動詞が強く残っているのであろう。
「君を愛す」のように・・・。でも確かに古い感じがする。若い世代はこの「愛す」はほとんど
使わなくなっており、「愛す」は氷の「アイス」のほうがピンとくるのでは・・・。でも否定形
だけはまだ「愛す」の否定形「愛さない」をちゃんと使っているのである。
やはり言葉は時代とともに変わっていくものであり、いい例が「罰する」と「罰す」である。
いろいろな日本の方に聞いてみると「罰しない」と答える方が多く、「罰す」の否定形で
ある「罰さない」はごくまれである。これはすでに「罰す」という動詞はほとんど使われて
いない証拠であろう。
するとやがて「愛する」も「罰しない」と同じように「愛しない」になってしまう日がくる
のかも・・・。日本語教師としてはそのほうが教えやすいが、ちょっと寂しい感じもする。
そこで生徒には「愛する」の否定形など必要ないですよ、全て「愛します」だけ使って
くださいと教えたいところである。
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