矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 91


「ただのコーヒー」はどんな意味・・・?


 「先日友人に食事をごちそうになりました。お礼をしようと思ったので、その友人を
家まで車で送りました。そして急いで家に戻ろうとしてスピード違反で捕まってしまい、
高い罰金をはらうことになりました。本当に『ただより高いものはない』ですよね」。
これはある日本語学習者の話である。さすが上級者である。本人は大変だった
だろうが、なかなか的を射た言い回しである。

日本語教育においてこの「ただ」はなかなかやっかいである。もちろん最初はお金
などがいらない、無料という意味を教える。例文として「入場料はただです」や
「コーヒーはただです」などを導入してお金がゼロという意味を理解してもらう。

そして漢字を習い始めると「ロハ」などもちょっと教えてみたくなる。「ただ」の漢字は
「只」ですから、これを分解するとカタカナの「ロ」と「ハ」になるでしょう。だから
「ただ」のことを「ロハ」ともいいますよ・・・である。でもこんな言い方今の日本の若者は
ほとんど知らないのでは・・・。日本語学習者にこんなこと教える必要は全くないのだが、
ついつい教えてしまっている。調べてみると、この「ロハ」は大正時代から昭和初期に
かけて流行った若者言葉であったらしい。いつの時代でもちょっとふざけた若者言葉と
いうものは存在していたようでなかなか興味深い。

しかしこの「ただ」はまだ他にもいろいろ使い方があるので大変である。日本で教えて
いたとき、学習者のこんな驚きを思い出した。テレビドラマの中で、「何飲んでいるの・・・」、
「ただのコーヒーよ」。こんな会話であったらしい。場面は喫茶店の中である。
その生徒は「ただのコーヒー」を当然無料のコーヒーだと判断した。そしてどうして
喫茶店にただのコーヒーがあるのかしら・・・とすごく不思議に思ったらしい。

うーん、なるほどね。我々日本人はそんなこと考えたこともないが、確かにこの
「ただ」はややこしい言葉の一つである。「ただ」はこんな言い方も良く使う。例えば
「この人だれーーー」、「ただの友達よ」である。この場合、もちろん学習者も
「無料の友達」はおかしいと思う。ではどんな意味・・・。教師としては「特別変わった
ことがない、普通の人や物」に使いますよと教えなければならない。

もちろん日本人は文脈から判断できるが、「ただのコーヒー」だけだと確かにややこしい。
「無料のコーヒー」なのか「普通のコーヒー」なのか・・・。先日も日本から来た若者に
「何それ・・・」と質問したら「ただの雑誌・・・」といわれて戸惑ってしまった。本人は普通の
雑誌を意味したようだが・・・。今の若者はこの「ただの○○」をよく使うようである。

そして「スカイトレインのただ乗りはダメですよ。見つかったらただではすみませんよ」
なども教えなければ・・・。確かに「ただ」はただものではない。

更にこんな言い方に出くわしてしまった。「これ安いね、ただの1ドルだって・・・」。
これを聞いた学習者はびっくりしてしまうであろう。「ただじゃないですよね。先生、
どうして・・・」。本当に日本語ってとても複雑である。ただの日本語教師としては、
ただでさえ困っているのに、こんな質問されるとただおどろくばかりである。



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