矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 169


☆ 「了解しました」はダメ・・・?
 

若者世代に対する敬語意識の調査結果を見た。それによると、
「○○先生はおりますか」という表現は敬意のある正しい言い方であり、
またお客様などに「受付で伺ってください」という表現にほとんど違和感
を持たないとのこと。びっくりしてしまった。

でも言葉とは時代ともに変化していくものであり、「言葉のゆれ」と考
えれば、そんなに目くじらを立てることもないのかもしれない。しかし
最近の敬語の誤用は日本語教師としてとても気になる。

本来この「おる」や「伺う」などの動詞は自分の動作を低める
いわゆる謙譲語であり、相手の行為に用いるのは大間違いである。
この場合は「○○先生はいらっしゃいますか」や「受付でお聞きになって
ください」と言わなければ間違いで、失礼である。皮肉を言うならいざ
知らず、相手の行為には尊敬語、自分の行為には謙譲語を用いる
のは我々日本人としてはごく当たり前である。

しかし日本語を勉強している上級者に謙譲語を教えるとき、よくこん
な質問を受ける。「どうして自分を低める必要があるんですか」である。
「うーん」、でもそれが日本の文化なんだよ、と教えているのだが、日本
の若者もこの「へりくだりの表現」いわゆる「謙譲の美徳」など、感性とし
てあまり必要性を感じなくなってきているのかもしれない。

そして表題の「了解しました」であるが、敬語の本などでは上司など
に使ってはダメ。「かしこまりました」や「承知いたしました」を使えとなって
いる。しかし日本の若者と話をしていて、なぜそんなにかしこまる必要が
あるのか、「了解しました」のほうが感じがいい、である。確かにそんな気
もしてくるし、文法的にも問題なく、かなり使われている。

また、こんな間違えもよく耳にする。「お客様が申されました」や「お客
様が参られました」である。これは「申す・参る」に「れる」を付けて
尊敬語の雰囲気を出したいのであろうが、間違いの二重奏である。
お客様の行為に謙譲語である「申す」や「参る」を使うのもひどいが、
またその動詞に「れる・られる」などを付けるのは、めちゃくちゃな表現で
ある。しかし若者の間では広がっていきそうで、日本語教師としては
とても怖い思いである。

しかし「○○先生はおりますか」という表現は間違いだと分かっている
人でも「○○先生はおられますか」の「おられる」に違和感を持つ人は、
特に関西地方の人は少ない。でもこれも「おる」という謙譲語に「れる」
をつけたのであり、文法的には大間違いであるが、関西地方ではよく
使われている。

日本語教師としては、どう説明すれがいいのか困ってしまうのだが、
この「おられる」は特に敬語意識が強い関西弁の中で、文法的な
間違いなどは関係なく、丁寧な表現として広まっている。  

やはり言葉の変化は世の常であり、それを使う時代の人々の感性
などが決めていくものなのであろう。
まさに「言葉は世につれ、場所につれ」である。



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