正に「運命の出会い」であった。今となれば、この時からすでにカナダ移住の筋書きは出来ていたのかもしれないが、この出会いが無ければカナダ移住などそれこそ思いもしなかったことを考えれば私にとって、家族にとって 正に「運命の出会い」と言っても過言ではないと思う。
その 「出会い」 とは 横浜駅近くの “とある”ピザ屋での出来事であった。「ピザ食べ放題」の看板に引かれて、昼食を食べにふらりとその店に入った。 昼食時であり、店内はかなり混んでいたが、偶然長テーブルの真ん中の席が空き、その席に座って
ふと前をみるといかにも外国人らしき、 年も小生と同じぐらいの一人の男性がうまそうにピザを食べていたのである。
当時私は日本語教師の特訓中であり、また 同時に英会話も勉強していたので 当然外国の人に強い関心をもっていた。これは良い英会話の勉強になるぞとばかり、 そしてあわよくば日本語を教えるお客さんになるかもしれないぞと、早速学校で習ったワンパターンの質問文で彼に話しかけたのであった。彼はこちらのお粗末な英語力をとっさに感じ取ったのであろう、大変やさしい英語でしかもゆっくりと答えてくれたのである。
ここまではよくあるケースであるのだが、ここから今となれば運命的な出会いと感じる偶然性がいろいろ起こってくるのである。
まず私はなんとなく親切そうな彼に、「お国はどちらですか」と質問した。 彼の答えは「カナダのバンクーバー」であった。「バンクーバー ? この地名は 前にどこかで聞いたことがあるぞ・・・」。その時 例の “つくば博” の最終日、 電光掲示板に「来年(すなわち1986年)はバンクーバーで会いましょう」 という文字を思い出していた。
その閉会式の時は 「バンクーバーってどこなの」 こんな感じで、知識も興味もまるで無かったのだが、 今回はバンクーバーという地名になんとなく親しみを感じた。しかしまさかその地に移住することになるとは、もちろん思いもしなかったのである。
そして次の 「今どこに住んでいますか」の質問の答にも驚かされた。なんと私の家から歩いて行ける場所に住んでいるいわゆる“お隣さん”なのである。
このあたりから普通の出会いとは違う何かを感じ始めていた。 そして更に次の質問に入るのだが、やや失礼だと思いながらも大いに興味が沸いて来て「ご職業は、ご家族は」
と聞いたのである。
彼の答えは「妻が一年契約で横浜のある幼稚園の先生として働くことになり、 もちろん自分も勤めていた会社をやめて家族で来日し、現在は 今住んでる近くの人に英語を教えている先生」 とのことであった。
《会社をやめた新米教師》、 あまりにも今の私と似ているのに驚きを隠せず、思わず “me too” と言って手を伸ばしていたのである。なんとなくこのまま終わりにしたくない そんな気持ちを強く持ちながら、とりあえず再会を約束して別れた。
そして後日家族同士で会うのであるが、家族構成も子供が一人でしかも男の子という点まで符合しており、さらにお互いの年齢もほぼ同じ、父親同士、妻同士、そして子供同士と、つきあいをますます深め、その後彼らがカナダに帰るまでの約10ヶ月間、言葉や文化の交流を通して忘れられない“カナダの友”となって行くのである。
「もしあのとき あのピザ屋に入っていなければ・・・」
「もしあのときあの席が空かなかったら・・・」
「もしあのとき 彼に話しかけなかったら・・・」
こんなことを言ったら切りがないかもしれないが、この出会いがカナダ移住に直接そして大きな影響を及ぼしている以上、正に「運命の出会い」「すばらしい出会い」であったことは間違いなく、今となれば、 いわゆる 「赤い糸」 で結ばれていたのではないかと思いたくもなるのである。
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