☆ ≪ カナダ移住25周年 ≫
こんな夢をみた。
青空が広がる昼下がり、私は歩いている。
どこだか分からない。でも日本ではない。
それは天気で分かる。真夏というのにとてもさわやかで、
すごく気持ちがいい。
歩いている人もどことなくのんびりである。
街角にコーヒー店を見つけ、入った。そして
日本語で注文した。コーヒーを待っていると
後ろのほうから日本語が聞こえてきた。
日本人らしき親子3人が楽しそうに話している。
「ここはすごくいいところだね」と中学生ぐらいの
男の子が嬉しそうにしゃべった。
その少年の顔を見たとき、目がさめた。
令和元年8月 夢一夜
家族3人でカナダ・バンクーバーに移住してきたのが
1994年の8月。ですから、
今年2019年でちょうど25年を数えます。
あっという間のような気もしますが、四半世紀、やはりそれなりの
長さを感じます。小生50歳のときの移住なので、
人生の三分の一をカナダで過ごしたことになり、
歴史の重みもずしりとかみしめています。
移住した当初は確かにいろいろカルチャーショックもあり、
かなり戸惑いも感じましたが、「郷に入っては郷に従え」、
すぐに慣れてきました。そして移住5周年(1999年)のとき、
家族で「バンクーバーに移住して本当に良かった」
こんな結論を出した記憶があります。
それから20年、我々の物差しもかなりカナダ的になり、
移住した喜びを積極的に感じています。
特に妻は日本特有の「察しの文化」などお呼びでない、
多文化共生のバンクーバーライフを大いに楽しんでいます。
また息子は中学2年生(14歳)の移住であり、英語など分からず
学校ではかなり苦労も、でもグローバルな考え方や
視野の広がりを身につけて、現在は日本(川崎)
そしてシンガポールやカンボジアで、「型にはまらない」を
モットーに居酒屋「型無」を経営しています。
さて、日本語教師としての仕事は、もちろん日本語も教えて
きましたが、日本語の教え方を教える「日本語教師養成講座」を
主にやってきました。
ですから生徒は大部分日本からワーホリなどで来ている人で、
女性が大半です。今年の7月で360期、卒業生は2800名を
数えました。
卒業生のほとんどは当然ながら日本に戻ってしまいます。
ときどき日本に里帰り。その都度、矢野アカデミーの同窓会を
行なっています。卒業生との再会が楽しみ。
「結婚しました、旦那と一緒に行きます」や
「今度は子供と一緒に」など、うれしい出会いもあり、
歳月の流れも感じます。さらに
北海道や沖縄から駆けつけてくれる・・・、
筆舌に尽くしがたい喜びです。
確かに大部分の卒業生は日本語教師とは関係なし、
でも中にはバンクーバーで、日本で、そしてアジアの国々や
アメリカやメキシコなどで、プロの日本語教師として活躍している
卒業生もかなりおり、教師冥利に尽きる思いです。
しかし最近は日本からのワーホリ数減少の影響もあり、
生徒数がかなり減ってしまい、矢野アカデミーは経営的には
大苦戦。そろそろ引退も視野に、でも日本語を教える楽しさ
この上なく、一人でも生徒がいれば、もうしばらく頑張ろう
と意気込んでいます。
移住して良かった大きな要因の一つに、このエッセイがあります。
バンクーバー新報に2001年から「外から見る日本語」と題して
毎月書いています。最初はそんな長く続くとは思っても
いませんでしたが、とっても勉強になり、18年も続いています。
確かにネタ探しなどの苦労はありますが、このエッセイのおかげで、
ちょっとしたことにもすぐ興味が広がるようになり、最近では、
UBC新渡戸ガーデンの「紀念」の漢字や「招き猫」のこと、
さらに夏目漱石の左腕の喪章や「こころ」「夢十夜」に
のめり込んでいます。また読者の方からの励ましの声もうれしく、
もう少し書き続けたいと力が入っています。
改めて25年間を振り返るといろいろなことが走馬灯のように・・・、
少し感情的になりながら懐かしく思い出しています。
こんな夢をみた。
ここはバンクーバー。それは天気で分かる。
とても楽しい。もう数え切れないほどここに住んでいるので、
自分が何歳なのかよく分からない。
でもとても元気である。
本当にこんな夢が見られるまで頑張りたく、
今後ともよろしくお願いいたします。
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《ホームページ www.yano.bc.ca》までお願いします。
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