☆ 「言いました」と「言っていました」
バンクーバーに移住して19回目のお正月。カナダの文化にもかなり慣れて
きたが、なかなか馴染めないのがお正月の雰囲気である。
日本とはまるで異なる。文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、何しろ
1月2日から仕事が始まる。正月気分など全くなく、元日も単なる休日の一つとして
考えているようで、とても味気ない。おせち料理を食べ、コタツに入ってみかんを
むきながら年賀状を見る。こんな雰囲気、当たり前だがカナダには全くない。
日本でも最近はかなり少なくなっているようだが・・・。
日本語教師として学習者に少しは日本のお正月の文化も教えたく、新年会の
席でいろいろ話をしている。今年もはやばやと新年会を行なった。「あけまして
おめでとう」と乾杯をして、お店に頼んで特別に作ってもらったお雑煮を食べようと
しているのだが、一人の生徒がなかなか来ない。そしてA君が、「おかしいですね、
彼女は必ず行くと言いました」である。
日本語が大好きで上級レベルのA君だが、それだけに日本語教師としては
思わず注意をしたくなってしまった。「彼女は必ず行くと言いました」の表現である。
この場面では「彼女は必ず行くと言っていました」でなければ日本語として
違和感がある。
こんなこと我々日本人はほとんど意識していないし、考えたこともないがちゃん
と使い分けている。「言いました」と「言っていました」の違いである。確かに
上級者でもこの違いはなかなか難しい。早速彼女が来るまで、日本語レッスンの
始まりである。
まず「彼女は必ず行くと言いました」であるが、この表現は単に事実を述べて
いる言い方である。日記に書く場合や、ひとり言であれば全く問題ないのだが、
相手と話をしている会話の場面ではかなり不自然な日本語になってしまう。相手は
「だから、何なの・・・?」こんな感じを持ってしまい、会話にならないのである。
この場合は「彼女は必ず行くと言っていました」でなければダメである。この
「言っていました」は相手に何かを伝えるサイン、すなわち伝聞を表しており、
聞き手は何かを伝えたいのだなとすぐ分かるのである。だから「そう、彼女都合が
悪くなったのかな・・・」などと話が続き、ごく自然な会話になる。
でも意味は分かるし、日本語らしさの問題なのでこんなことあまり気にすること
はないのかもしれない。でもやはり皆さん上級者である。少しでも日本語らしく
しゃべりたいと真剣である。
そしてついでに年賀状の数え方も説明した。買う時は50枚くださいと「枚」を
使うが、お正月に届いた年賀状は50通きましたと「通」を使う。これは心が通じた
からですよ。うーん、誠に日本語は奥の深いきめ細かな言語である。
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