☆ カナダで出会った「新渡戸稲造」
≪その知られざる魅力≫
E 晩年の稲造
なぜ「唐人お吉」にお地蔵を・・・ ?
国際連盟における新渡戸稲造の活躍は日本という国を世界に
知らしめました。それはまさに、
「太平洋の架け橋」から「世界の架け橋」になった思いだったでしょう。
1926年に事務次長を退任し、日本に帰国。64歳、貴族院の
議員にもなり、女子学校の設立などにも力を注ぎます。さらに
アジア・太平洋地域の平和と交流を目的とした
太平洋問題調査会ができ、稲造は理事長に就任し、
新たな活躍が始まりました。また現在の保険医療制度につながる、
医療利用組合の設立にも関わり、いろいろな分野で力を発揮し、
経験豊かな国際人として面目躍如たるものがあったと思います。
しかし1931年(昭和6年)に満州事変が勃発し、日本への
非難が高まり、日米関係も悪化していきます。そのころの日本は
軍靴の足音がどんどん大きくなり、翌年2月、松山で講演したあと、
軍部批判の記事が新聞に大きく掲載された、いわゆる松山事件で、
軍部から非国民として攻撃を受け、身の危険を感じます。
1932年4月に日本の立場を説明しようと渡米しますが、
保身のための渡米との風評もたち、また五・一五事件なども起き、
米国での数多くの講演でも反感をかってしまい、日米の架け橋も
崩れ落ち、1933年3月に妻・メアリ―を米国に残して失意のまま
一人で帰国することになりました。そして、その直後の3月27日
日本は国際連盟を脱退。ジュネーブ(国際連盟)の星といわれた、
新渡戸稲造はどんな思いだったでしょうか。
そのあと、ふるさと盛岡を訪ねて、祖先のお墓参りなども
しています。稲造 70歳、何か心に感じるものがあったのでしょう。
そして7月には「唐人お吉」の墓がある下田に行きます。
唐人お吉 身投げした場所
このお吉ですが、幕末、アメリカ総領事ハリスのもとに無理やり
奉仕することを命じられ、その後不幸な人生を送り、入水自殺を
した女性です。ハリスが体調を崩したので、看護婦を頼んだが、
通訳にも問題があり、奉行所は妾と勘違いし、当時17歳であった
美人芸者のお吉が選ばれたようです。最初は同情もありましたが、
当時としては高額の支度金をもらい羽振りも良くなって、
下田の人々から嫉妬や偏見の目で見られるようになり、
ラシャメン(洋妾)などといじめられ、身を滅ぼしたとのこと。
稲造が依頼したお地蔵 カナダの1ドルコインを置いてきました
そのお吉が身を投げた場所に稲造は慰霊のため、お地蔵の
建立を頼み、幕末の激動期、日米修好の犠牲になった彼女を
「大和撫子」とたたえています。2014年に日本に行ったとき、
下田のそのお地蔵さんを見てきました。また当時稲造が宿泊した
旅館(今は喫茶店)を訪ね、宿帳を見せてもらいました。
そこには室町時代の禅僧、夢想国師の
「盛りをば見る人多し散る花の あとを訪うこそ情けなりけれ」
この和歌を稲造が宿帳に書いています。これは将軍足利尊氏が
西芳寺に桜を見に行ったがすでに散っており、不満を漏らした時に
夢想国師が歌ったもの。盛りを過ぎたあとに思いをかけてやるのが
真の思いやりだ、と将軍を諭したとされています。
稲造が宿帳に書いた和歌
でもこの大変なときに、わざわざ下田に行って、なぜお吉のために、
お地蔵さんを頼んだり、このような和歌を宿帳に書いたのか・・・。
晩年の稲造は日米の間で多くの友を失い、多くの苦悩や
寂しさを感じていたのでは・・・、そして日米の間で犠牲になった
お吉の不幸な境遇と今の自分の気持ちを重ね合わせたのでは、
と思えてなりません。
急ぎ8月にカナダのバンフで行われた太平洋会議に出席。
その会議で最後の力を振り絞って国際平和を訴えましたが、
ついに病に倒れ、1933年10月カナダのビクトリアで71歳の生涯を
閉じました。その後、日本は稲造の恐れた軍部の台頭すさまじく、
戦争という泥沼に入り込んでしまいました。
早すぎた国際人、新渡戸稲造の輝かしい活躍も軍国主義の
歴史の中でほとんど消されてしまったようで、歴史の教科書にも
登場せず、日本人はあまり知らないのだと思います。
でもやっと1984年(昭和59年)に五千円札の肖像として
登場することになりました。でも遅すぎる思いです。
葬式はバンクーバーのバラードとネルソンの角にある
St. .Andrew’s Wesley 教会で行なわれたとのこと。
実は2002年に矢野アカデミーは今のビルに引っ越してきました。
教室の窓からその教会が目の前に見えます。
当時は全く知りませんでしたが、稲造にのめり込んだ2011年から
毎日見ています。
教室から見えるその教会
カナダで出会った「新渡戸稲造」との、そこはかとない
赤い糸を強く感じつつ、教会をしみじみと眺めながら、
この辺でペンを置きたいと思います。
ありがとうございました。
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