矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 178


☆ 「くれる」はすごい
 

授受動詞いわゆる「あげる・もらう・くれる」は日本語教育において、
教えるのに一番やっかいな動詞である。例えば

 He gave her a present.

 He gave me a present.

この英語の文において
her だろうが me だろうが、
どちらも同じ
give という動詞を使う。

これは英語に限らず、仏語や独語はもちろん、中国語や韓国語も
同じ動詞である。さらに調べてみると全世界の言語はすべて同じ動詞
を使うようである。でもある国の言語だけ、なぜか「
her」と「me」で動詞
が変わるという大変ややこしい、信じられない言語が一つある。うーん、
日本語である。

確かに日本語は「彼女に」と「私に」で間違いなく動詞が変わってしま
う。「彼は彼女にプレゼントをあげた」であるが、「彼は私にプレゼントを
くれた」となり、「私に」になると「あげる」が「くれる」に変わってしまう。こん
なこと我々日本人にとってはごく当たり前のことだが、日本語学習者は
大変である。「彼女に」と「私に」で動詞が変わることなど、自分の国の
文化には無く、考えたこともないであろう。

そこで、この「あげる・もらう・くれる」を教えるときは最初に「これは
皆さんの国の文化に無いことなので難しいですよ。ごめんなさいね」と
謝ることにしている。そして「私に」の場合は「あげる」ではなく「くれる」に
なる、と説明する。

さらに、「彼は弟にクッキーをあげた」と「彼は弟にクッキーをくれた」の
文で、この弟が誰の弟なのか、日本人はすぐ判断できる。いわゆる
「内と外」の文化である。英語では同じ
give という動詞で his brother
my brother か言わなければならない。だが日本語は家族も私と同じ
「内」であり、「くれる」を使い、動詞で判断できる。日本人としては当然
だが、うーん、確かに日本語はややこしい。

 しかし、なぜ日本語は私や家族に対して、この「くれる」という動詞を
使うのであろうか。他の世界中の言語と同じように「あげる」だけであれ
ば、日本語教師としてはとても楽なのだが・・・。

これが日本語の文化なのである。例えば
田中さん
鈴木さんの場合や、鈴木さんの場合は
「田中さん・私は鈴木さんにあげる」である。でも
田中さん
私の場合は、本来であれば「田中さんは私にあげる」だが、
しかし「私にあげる」は恐れ多いと感じて「くれる」という動詞が出来た
のであろう。

この「くれる」は日本語の文化そのものといっても過言ではない。
よその人
()を上に、自分や家族()を下に置く配慮。日本語が持つ
「内と外の文化」、正に謙譲の美徳である。めったに使わないが「くれて
やる」などは確かに目下の者に、そして、いまいましく思っているときに使う
のである。

でもこんなことは気にせず、もっと大事な
「彼女がくれた」と「彼女にもらった」の違いを覚えてもらわなければ
ならない。それは「台風がそれてくれた」は言うが、
「台風にそれてもらった」とは言わない。それがヒントですよ、と
教えている。


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