矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 158


☆ 「子供がある」は間違いか・・・?

日本語は「いる」と「ある」がとてもうるさい言語である。「公園に子供
がいる」であり、「テーブルの上にりんごがある」である。「いる」と「ある」は
「子供」と「りんご」で当然違う。日本人としてはごく当たり前のことだが、
英語はこんなことはまるで無頓着である。

この「いる・ある」表現は日本語独特の文化と言っても過言ではない
だけに、これを教えるとなると最初はなかなか難しい。もちろん「子供」と
「りんご」の違い、すなわち「生物」と「無生物」の違いを説明すればいい
のだが・・・。実物を見せながら教えるのが分かりやすいと思うが、本物
の動物を準備するのは難しい。縫いぐるみなどを使って説明すると、
なおさらややこしくなってしまうので、最初は全て絵を使い、日本語の
文化として、この違いの大切さを強調すれば分かってもらえる。

でも日本人にとってもややこしい言い方がある。例えば「私には子供
があります」や「田中さんには恋人があります」などの表現である。最近
の若者はほとんど使わないようだが、年配者は「お子さん何人おあり
ですか」などと確かに「ある」を使っている。

そのいい例が童謡「七つの子」の歌詞、「からすは山に可愛い七つの
子があるからよ」である。確かに子供に「ある」を使っている。国文法では
こんな説明をしている。「ある」には「存在」と「所有」の二つの使い方が
あり、「存在」の場合は「テーブルの上にりんごがある」のように無生物
だけしか使わない。

でも「所有」の場合は「子供があります」すなわち子供を持っている
ことを表わしているので、生き物である「子供」にも「ある」を使っても
問題ない。なるほど、でもややこしい。

ただし、「人」に「ある」を使う場合には、制約があるといわれている。
対象になる「人」は不特定の人物である場合にしか用いることが出来
ない。つまり「私には子供がある」や「田中さんには恋人がある」とは
言えるが、「私には太郎という子供がある」とか、「田中さんには花子と
いう恋人がある」という言い方は確かに不自然である。

特定の人ではなく、単に「子供」や「恋人」などが話題になった場合、
「子供がある」や「恋人がある」の表現を使う。それは子供や恋人に
「大切な人」という意識を強める効果とされており、昔の人は巧みに
そんな使い分けをしていたのである。

しかし言葉は時代とともに変化するものであり、今の若者はこのよう
なことに関心を持たなくなってしまったようで、あの歌詞も「かわいい七つ
の子がいるからよ」のほうが自然に感じるとのこと。

昨今はこの童謡を知らない若者もかなり多く、また知っていても、
替え歌の「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょう」が本物の歌だと
思っている生徒もいて、びっくりするやら、なげかわしいやら、である。

この「七つの子」の「七つ」は「七羽」なのか、「七歳」なのか・・・。
でも、もうこんなことを話題にすることも出来なくなってしまうのかと思うと、
とてもさびしい限りである。



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