矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 134


☆ 「雨に降られた」はもう古い・・・?

「雨に降られた」 これを聞いて日本人は誰も「よかったね」とは言わない。即座に
「困ったんだ」と判断できる、いわゆる迷惑の受身表現である。日本語教師として
これらの受身文を教えるとき、例文としてこの「雨に降られた」をよく使っている。
カナダに来ても当然この例文を使って説明したのだが、どうもこちらの生徒は
ピンとこないのである。

理由はしばらくして分かった。雨に対する日本人とここに住んでいる人との感覚
の違い、文化の違いである。確かにここバンクーバーでは雨に対する嫌悪感が
あまりないように思える。雨が降っていても傘をさしている人は少なく、急な雨にも
雨宿りや小走りする姿などほとんど見かけない。さらに驚くことに雨の中を平気で
ジョギングしている姿をよく見かける。どうしてわざわざ雨の中を・・・。

一方日本では雨は嫌なものと相場が決まっている。どうしてこんなにも違うの
だろうか。理由はいろいろあると思うが、先ずここバンクーバーで雨が嫌いであれ
ば、雨ばかりの冬はとても生きてはいけない。 雨を友として仲良くしていこうという
生活の知恵なのかもしれない。

一方日本では子供のときから「頭が濡れると風邪をひく」などと親から言われて
おり、雨に濡れることはとてもいけないことだと教育されてきたように思う。 だから
日本では迷惑の受身文の例文としてこの「雨に降られた」はとても効果的である。

だがここバンクーバーではこの例文は確かにふさわしくない。私自身もカナダに
移住して雨に対する考え方が何となく変わってきた。日本で出かけるときなどは
常に天気が気になっていたが、今はあまり気にもならず、少しの雨なら傘などささ
ずに歩いている自分を見て驚いてしまった。外国で日本語を教える教師として、
例文を作る際にはいろいろなことを考慮しなければならないと身をもって体験した
のである。

そしてこの「雨に降られた」だが、最近の日本の若い人たちもあまり使わなくなっ
ているようで、驚いてしまった。先日受身文の教え方の授業で教師養成講座の
若い受講生が、その表現は使わないし、ものすごく不自然な感じがするというので
ある。理由は雨が降る、降らないは自分ではどうすることもできないのだから・・・、
受身など使う必要はなく、「雨が降って、困った」のほうがとても簡潔で落ち着くと
のこと。うーん、なかなかおもしろい感覚であるが・・・。

気になったので何人かの日本の若者に聞いてみたのだが、そのような意見を
述べる人がかなり多く改めてびっくりしてしまった。「雨に降られた」はもう古い表現
になりつつあるのか・・・。

 感覚の違いからも言葉はだんだん変化していくものだとつくづく感じてしまった。


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