矢野アカデミー

バンクーバー新報投稿エッセイ

外から見る日本語 97


☆ 「雨雲」の読み方は・・・?


日本語教師として日本語は難しいなどとは決して言いたくない。でも確かに発音
などに関して説明しにくい厄介な現象がいろいろ起こる。これはもちろん日本語だけ
ではなく他の外国の言語も同じであろうが、学習者には大変である。

ひとつの例として連濁がある。日本語学習者はまず初級に「青」や「空」などの
漢字を覚える。そして次に「青空」という単語が出てくると学習者とすれば当然
「あおそら」である。しかし発音は「あおぞら」と教えなければならない。こんなこと我々
日本人はごく当たり前だが、学習者は「なぜ・・・」と戸惑ってしまう。二つの単語が
一緒になって一つの単語になると後ろの言葉が濁る現象である。

この連濁現象に関しては今までいろいろな質問を受けてきた。まず「豚汁」は
「とんじる」なのにどうして「味噌汁」は「みそじる」にならないのか・・・。「えー」そんな
こと考えたこともない。「みそじる」などと言ったら飲みたくなくなってしまう。また「汗臭い」
は「あせくさい」と濁らないが、「生臭い」は「なまぐさい」となぜ濁るのか・・・などなど。
正に「うーん」である。

確かに「桜木」は「さくらぎ」と濁るが、「草木」は「くさぎ」とはならない。「うるさいなー、
そんなこと気にしないで・・・」と怒りたくなってしまうのだが、学習者はとても気になる。
さらにややこしい質問が表題の「雨雲」である。学習者は「あめ」と「くも」が一つに
なったのだから「あめぐも」なら納得するのだが、なぜ「あまぐも」になってしまうのか・・・。
確かにややこしい。

これらの現象に関しては一応決まりがあるようだが、そんなこと意識している日本人は
ほとんどいない。また明確に説明出来ないものもかなりあり、日本語学習者にそんな
決まりを説明しても全く意味がない。「昔の人が勝手に発音しやすいようにいろいろ
変えちゃったので・・・、ごめんね。そんなことあまり気にせず頑張ってひとつひとつ覚えて
ください」と言うのが一番である。

しかし我々日本人は確かに何となく違いは感じる。両方使う例として「山川」の
「やまかわ」と「やまがわ」である。濁らずに「やまかわ」といえば「山」と「川」の二つを
表している感じがするし、「やまがわ」と濁った場合は、「山の中を流れている川」を
イメージ出来るのでは・・・。

すると「草木」は草と木を表しているので「くさき」と濁らず、「桜木」は桜の木という
一つの単語として表現しようとしているので「さくらぎ」と濁るのであろう。ちょうど「年月」を
「としづき」と濁らず、「としつき」と発音するのは「年」と「月」を対等に表そうとするからで
ある。でもすると「草花」は・・・、これは意味的には「くさはな」であろうが、「くさばな」と
濁ったほうが言いやすい。理屈に合わないが、やはり発音しやすいことが最優先なので
あろう。

これらに関しては方言や世代などとも絡んで、説明など不可能なものもたくさんある。
もし「雨雲」のとき「雨男」や「雨女」の読み方を質問されたら、顔が真っ青になっていた
のでは・・・。そしてこの「真っ青」もなかなか大変である。




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