矢野アカデミー

 カナダで出会った新渡戸稲造

「カナダで出会った新渡戸稲造」スタート版
         バンクーバー新報 2017年6月


「記念」と「紀念」
  
新渡戸紀念庭園の「紀念」は素晴らしい

                                        

数年前から、あるきっかけで新渡戸稲造にのめり込みました。
日本に行った2014年には、彼の生まれ故郷の盛岡まで足を延ばしたり、ゆかりの
ある伊豆・下田を訪れたりしま
した。そして去年(2016年)は台湾まで、新渡戸稲造の
胸像にハグしに行ってきました。

ですから、当然UBCの大学構内にある新渡戸ガーデンには何度も足を運んでいます。
庭園の入り口の前で何枚も写真を撮りました。
でも最初のころは気がつき
ませんでしたが、友人から入り口の看板の漢字について
質問を受け、気になりました。
「新渡戸紀念庭園」です。
普通は「記念」と書きますが、「紀念」になっています。

       

 日本の観光客から、あの漢字は間違っているのでは、と指摘された話も聞きました。
早速いろいろ調べてみました。明治や昭和初期は「紀念」も「記念」も同じような
意味として両方使っていたようです。

 でも昭和21(1946)の当用漢字設定のころから、文化庁の指導もあり、
「記念」が一般的になって、「紀念」はほとんど使われなくなりました。現在の大部分の
辞書には「紀念」は載っておらず、さらに「紀念」を誤用として載せてある辞書もあります。
世代にもよりますが、確かに「紀念」は馴染みがなく、古風な感じがしますね。


 今の新渡戸ガーデンは昭和35(1960)に完成しました。この時はすでに「記念」が
一般的になっており、なぜ「紀念」の漢字を使ったのだろうか、という疑問が強く
湧いて
きました。台湾を訪れたとき、孫文の「國父紀念館」や「中正紀念堂」などを
見学しましたが、漢字はすべて「紀念」になっていました。
案内してくれた台湾の生徒いわく、両方ありますが、台湾ではほとんど「紀念」を
使っているとのこと。


 さらにバンクーバーの中国出身の友人にも聞いたところ、何となく使い分けており、
例えば結婚紀念日などは絶対「紀念」です。でも単なる記念品などは「記念」。
間違いなく「紀念」のほうが、心や気持ちが入っているとのこと。 
うーん、なるほど。大いに納得である。


 実は、いろいろ調べているうちに、新渡戸稲造のこんな本が見つかりました。
1898
(明治31) 彼が36歳のときの著書「農業本論」の冒頭に
亡母の紀念に此の書を捧ぐ」と記してあり、「紀念」を使っています。
なるほど、当時は日本でもちゃんと使い分けていたのでは、と感じました。


 末っ子の稲造は母親の愛情を強く受けて育ちました。そして札幌農学校のとき、
母の死に目に会えなかったことが大きな後悔でした。そんな母への思いが
この「紀念」という漢字を使ったのでは、と思えてなりません。それを踏まえて、
この庭園の設計者である森勘之助も「新渡戸紀念庭園」としたのでは、
こんな思いを募らせています。

 
 「紀念」素敵ですね。中国や台湾ではこの「紀念」のほうが主に使われていますし、
日本でも昔は天然紀念物や紀念碑などのように、使っていたようです。
でもなぜ、
この漢字「紀念」を使わないようにしてしまったのか、日本語教師としてはとても残念です。


ここで「外から見る日本語」はしばらくお休みして、来月から
カナダで出会った新渡戸稲造」と題して、数回掲載することになり
ました。
新渡戸稲造にのめり込んだ「きっかけ」や国際連盟での活躍、
そして台湾との
関係など、その知られざる魅力に迫ります。
ご期待ください。

       
 台湾の許文龍氏より寄贈 (2014年)     石灯籠(1935年日本で作成)

      
    新渡戸稲造 21歳の決意          その架け橋の上にて

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